Mussel Docking World

発汗、発光の末、発酵!をモットーに、音楽的な活動をする二人組、Mussel Docking (マッスル・ドッキング)のブログです。

ぼくが言いたいのはもっと単純なことだ。

地球は広い。とてつもなく。
そして、その広い地球にこれまで流れてきた時間はとてつもなく長い。
広い地球に長い時間が流れて、今の世界がある。
世界=広大な面積×長大な時間。
時間を現在に区切ってみれば、少し世界が小さくなるけど、今日一日世界で起こった出来事をぼくが全部知ろうと思ったら、人生がいくつあっても足りないんじゃないだろうか。
場所を日本に限っても、時間を今日の午後に区切っても、出来事を知り尽くすことはできないだろう。
(それを知る方法が与えられたとしても)

ぼくたちが実際に見たり聞いたりして得る知識は非常に限られている。
メディアを通して得られる知識の量はそれよりずっと増えるけど、実際に世界で起きているだろう出来事の総量と比べれば、メディアの情報量はとても少ないはずだ。
世界は個人の知識が遠く及ばない範囲に広がっている。
それでも世界の存在を信じるとすれば、その信念は大部分想像に基づくと言っていいんじゃないだろうか?
世界は自分の知識が及ばない場所でも存続し動いている、と想像できるからこそ、人は広い世界の存在を信じることができる。

人間が知識を得る能力には限界がある。人はその限界を、想像力を使って乗り越えようとする。
こういう風な言い方は、よく聞く気がする。
しかしそれは多くの場合、科学的探究とか、霊能とか、ファンタジーとかの話の流れに乗っかっている。
ぼくが言いたいのはもっと単純なことだ。
誰にでもアクセスできる知識に関しても、それを受け取る個人の能力には限界があり、だから想像によって人は知識の欠如を補おうとする、ということだ。

想像力は、非現実とか未知なる存在に向けて働かせることもできるけど、人間の生活にとって基本的な働きもしている、と思うのだ。
想像力を日常的な能力として捉えると、いろいろその利点や難点が見えてくる気がする。

(本稿 Alfred筆)