Mussel Docking World

発汗、発光の末、発酵!をモットーに、音楽的な活動をする二人組、Mussel Docking (マッスル・ドッキング)のブログです。

金がないからウンコ踏んだ

「当然である」とか「当たり前だ」という言葉をまるで切り札のように使う人たちがいる。
物事には必ずそれが起こる理由があり、理由と結果のつながりになんらかの必然性がない場合はおそらく存在しない。
だから、ある出来事や行為のなかに、それが起こった必然性を見出せないことなどないだろう。どんなことに対しても、「当たり前」と言えないことはない。
例えば、金に困ったから盗みを働くというのは、ある意味では筋が通っている。金がない→金を払わずに物を手に入れる、という因果系列は、世の摂理に反してはいないからだ。
しかし、金がない→金を稼ぐ、とか、金がない→物を手に入れるのを我慢する、といった因果関係の方がいっそう理にかなっている。
もし金に困った人が盗みを働くのが正当化される可能性があるとすれば、それは稼いだり我慢したりといった他の選択肢が排除された場合に限るだろう。
だから、「金がないから盗みをやるのは当然だ」という主張はおかしい。
しかし、これは(あくまで「ある意味で」だが)理が通っているので、その主張文自体の論理的なおかしさに訴えて反論することはできない。
例えば「金がないからウンコ踏んだ」というような文のおかしさを指摘するのとは別の方法が必要となる。
「当たり前」を主張するより、それに反論する方がたぶんずっと面倒なのだ。


(本項、Alfred著)