Mussel Docking World

発汗、発光の末、発酵!をモットーに、音楽的な活動をする二人組、Mussel Docking (マッスル・ドッキング)のブログです。

駅前シャッター街の再生、市街地活性化、ファスト風土かする郊外への嘆きなどの現象をぼんやり考えた(GW中、伊豆で)

下から上へ上へと上昇気流に乗るように読んでくださいますよう、お願い申し上げます。
なお、これらはいずれも数分前にtwittertweetしたものです。
昨日伊豆で考えたことをざっと書いてみたもので、熟考という過程を経てはおりません。

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まぁそのぉ、駅前に文化的価値があり郊外にない(別の価値、機能がある、例えば移動円滑化、都市間移動活性etc、田園には生産的価値があり、とかいうことってのを(市が)判断して土地の活用規制、用途地域なんかを策定してですね、一同納得の上で商店街を革新する動きが進めばいいってことかい?

果たして文化的価値なんてものが駅前という場にはあったのか、ありうるのか、もしかして文化=サブカルチャーと考えれば郊外にこそあるんじゃないか(ツタヤ、ブックオフユニクロしまむら、ボウリング場とシダックス、ガスト、ココ壱、コメリ、イオンといった「豊かで元気な21世紀買物文化」)?

もし商店街活性化賛同者がね、駅前商店街は街の顔であり市の顔である、だからシャッター街化することは単に経済停止を示すだけでなく都市としての価値を目減りさせるものである、だから2年間営業していない店舗は撤退し市が不動産と建築を買い取って新しい事業主に貸すべきだと言ったとしても・・・

いやぁ、そう考えていくとですよ、都市とは何か、郊外とは何か、郊外の移動を主目的とした幹線道路の役割とは?駅前商店街には潤いと活気が必要で(市街地活性化が急務と叫ぶ人がいる)一方で幹線道路にそれは不要ないし後回しと自動的にそういうものとして考えられてるっぽい事態。

経済の問題を解決するために、しかし数字を良くしようとするうちに、人間にかかわる問題が別んとこで浮上するってのもあるんじゃないの?シャッター街がそうであり(郊外のショッピングセンターが繁栄してりゃOK?)、道路建設問題にしても赫々云々。場における人間の営みをノスタルジーじゃなく、

ものづくり(製造)や商い(商売)、問屋(卸売)等をしている人間が存在し、商品が流通して、経済が動くんだとしても、経済の状態を良好に保つことを考えている内に目に見えるもの(例えば百貨店の売場におけるバーゲンの様相、商店街の活気、イチバでの競、人、場、空間etc)を見ずに数字を追うぜ

シャッターを閉じて2年、再度開ける可能性(やる気)がないと判断されたら、市が買い取ってやる気(と成功の可能性)がある人に貸し、そこでビジネスをやることを認める。でも市に運営能力はあるのかと問われて、あると回答することはできません。じゃぁ運営母体をイオンかららぽーとに?そりゃぁ・・

となると市が買った不動産を個人に貸し付ける、ということが考えられる。商工会の役割を含めてまちづくりの在り方を今議論している人たちがいる。市街地活性化という言葉をかぶせちゃうと見えづらくなる個別の事象がある。シャッターを閉じて2年、再度開ける可能性(やる気)がないと判断されたら、

駅前商店街に文化的価値があるのか?個人の所有物である不動産ゆえシャッター閉めるのも自由となると、文化的価値、都市の顔としての価値は減ると考えてもよくて、とは言え市が土地を買い取って面として駅周辺などを整備するのは、公と私のバランスがあまりにも崩れすぎ、となると・・・・・