Mussel Docking World

発汗、発光の末、発酵!をモットーに、音楽的な活動をする二人組、Mussel Docking (マッスル・ドッキング)のブログです。

中田永一「くちびるに歌を」

五島列島を舞台に高校の合唱部で繰り広げられる大小のドラマを登場人物、複数人の目から見た風景や耳で聞いた音などが語られる青春小説。

今年は小説をほとんど読んでおらず、文庫本で3冊読んだのみであるが、その著者はいずれも中田永一である。

春頃に読んだのは映画化もされた表題作を含む短編集の「百瀬、こっちを向いて。」と、それより前に書かれた短編集「吉祥寺の朝比奈くん」であり、秋深まる霜月に読み終えたのが、この「くちびるに歌を」。私が読んだ氏の作品は以上3作であり、「くちびるに歌を」は唯一の長編小説だ。

小説、特に文庫本は、浴室と呼ばれる一室に壁面に密着するようにして設置された浴槽と呼ばれる大型の容器に湯を張り、そこに身を浸して(両耳にはイヤフォン一体型のソニーウォークマンを装着あるいはパー着)読むのが私のスタイル。この小説も、また、前出の2つの短編集もほとんど風呂の中だけで読んだわけだが、これに関しては最終パートを、前日というか直前の午前3時まで働いて、帰宅、入浴、そして2時間程寝て即起床、身を整えて西日本での出張(喋りの仕事)のために乗り込んだ、東海道新幹線のぞみ号の中で、恒例の車内販売コーヒーを飲みながら読んだのである、さわやかな感動で静かに満たされた胸。
中年の ossan が青春小説に胸を打たれるという現象。西へと高速移動しながら。


くちびるに歌を (小学館文庫)

くちびるに歌を (小学館文庫)


吉祥寺の朝日奈くん (祥伝社文庫)

吉祥寺の朝日奈くん (祥伝社文庫)

百瀬、こっちを向いて。 (祥伝社文庫)

百瀬、こっちを向いて。 (祥伝社文庫)

百瀬、こっちを向いて。 [DVD]

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※ここで一旦『である調』に別れを告げ、『ですます調』にご登場いただこう。

合唱部や、それに類するようなクラブ活動 for singing に本格参加したことはない私ですが、ジュニアハイスクールに通学していた平成初頭、陸上競技部で投てき競技の選手として人目につかない場所で日々活動をしていた私は(実際、私が投じていた鉄球は4000グラム程度の重量を誇っており、その重さゆえ、上空を綺麗な弧を描いて飛んでいく野球の白球の如き空間移動をすることは皆無なわけですが、宙に放り出されたそれに、たとえダイレクトにではないとしてもぶつかれば怪我を負う恐れがありました。そんな危険を伴う私の競技を行うことが許されたのは、当時グラウンドと呼ばれ、最近ではいつのまにかピッチという呼称があてがわれるようになった広大な平面、もちろん地球は丸いわけで平面といっても曲面の一部を成していることは前提なわけですが、運動部の面々が時間的空間的に平面を分け合い奪いながら活動をしていた華やかな校舎前面ではなく、人が滅多にやってこない校舎の裏に位置する裏庭でした)、当時から音楽的なセンスは皆無だった私ですが、声の大きさ、あるいはうるささについては、当時学年で最もうるさいと私が常々思っていた、サッカー部に属していた巨漢の男(氏とは中学2,3年の時にクラスメトとなりました)に疎まれる水準を誇り、年賀状に「音楽の授業中、静かにしてください」と書かれたことは一生忘れることがないと思うほどです。

※ここで『ですます調』に別れを告げ、『である調』にて書き連ねることを宣言します。

村上春樹の翻訳で知られる著名な小説、「たのむから静かにしてくれ」を地でいっていた、ジュニアハイ時代の私。静かにしてくれ、と(言った方ではなく)言われた方であるが。
さて、話が逸れることが珍しくない私の書く文章だが、ご多分に漏れず当文章も行先が定まらない荒れ球の如き球筋であることを、この広大な世界に2,3人程度はいると思われる読者の方に対して軽くお詫びしたい、という気持ちを今認識したものの、それが、from bottom of my heart なわけではないということは書くまでもないわけで、書くまでもないことをなぜ書くのかともしも問われたならば、それに対する回答は現在のところ持ち合わせていないばかりか、今後もそうした機会に備えて準備する構えは一切なく、で、まぁ、ジュニアハイ時分は、そういうわけで、陸上競技部に所属し、午後に行う日々の練習、いわゆる午後練において、ウォーミングアップとクールダウンの時には校舎の前面に広がる空間で他の競技、すなわち、短距離走長距離走中距離走を含む)、障害物走、跳躍競技の選手たちに合流して活動を共にしてはいたものの、活動時間の大半は校舎の裏の so called 裏庭 で金属球を投げる毎日だった次第。

鉄球を投げるか、裏庭に面した保健室付近で休憩するか、というのが主たる部活動の内容だった私が、合唱というものを体験したのは、1つは学年ごとに開催されるクラス対抗の合唱コンクールという毎年恒例の校内大会に参加する義務があったことによる、ということ、もう1つは、同大会における3年生の優勝チームは学校代表として市のナンバーワンを決める大会に出場する慣わしがあり、ひょんなことから2年時に3年生の優勝チームが市大会に出る時の補助で加わった時だった。
後者は、3年生男子だけでは男声がバスばかりになりテノールが不足するということから、2年生の男子のうち、比較的歌声が高く、かつ、歌唱力が高いか、単に歌声が大きいという条件を満たす者にテノール補佐として参加しないかと声がかかり、許諾した者は3年生チームに加わって市大会出場のための練習、そして本番に参加するというものであり、私にも声がかかったが、最初は返事を渋ったのである。
放課後は陸上競技部の午後練習に参加する必要があったし、ピアノ伴奏と指揮者にあわせて調和をとり全体バランスを乱さぬように気を遣いながら何度も繰り返し軍隊式特訓(特訓は特別訓練の略)を強いられることが嫌だったからで、他にも、馴染のない上級生や同学年から選抜された男子諸君と交流するのが煩わしいと思ったからだ。
が、出場した暁には、大会後にケーキを食べさせてくれると言う話を聞き、即決、大会前の放課後はまず合唱の練習をしてから、陸上部の練習をするというような忙しい事態になった次第。

なお、実際はケーキでなくプリンであった。供されたのは。それに対して話が違うと憤怒した者がいた。私だ。

合唱に関するエピソードはハイスクールの2年生当時のものもあるが、割愛したい。

(了)