Mussel Docking World

発汗、発光の末、発酵!をモットーに、音楽的な活動をする二人組、Mussel Docking (マッスル・ドッキング)のブログです。

カネヤンに打ちのめされて開幕し、稲尾に抑えられて閉幕した1年目

長嶋茂雄プロ野球デビューというのは、プロ野球より人気のあった東京六大学でホームラン記録を作り、プロのオープン戦ではホームラン数が全選手中で1番多く、名門ジャイアンツで開幕から3番打者に抜擢されて迎えた一戦だったわけです。当時の球界のエース、国鉄金田正一投手にチーム全体が完全に封じ込まれ、長嶋も4打席4三振に抑えられたこと、そのすべてが見逃しでなく空振りの三振だったことは、日本プロ野球の伝説として超有名な話です。
その後、長嶋は頭角を現し、シーズン途中では川上から4番打者の座を奪取、結局、チームのリーグ優勝に貢献し、というかチームを牽引して優勝に導き、打率は2位に終わったものの、ホームラン王と打点王を獲得、新人王とベストナインも受賞するという大活躍の1年だったのですが、他にも、盗塁もリーグ2位、安打数、二塁打数は1位、三塁打は2位、もしもあのベース踏み忘れ事件がなければ、昭和33年に新人の三塁手が、3割30本30盗塁(ホームランが1本取り消しで29本にとどまった)という3並び3尽くしの美しい記録を生んだということになる、というような漫画のようなことも起きていた、という程。それほどの活躍。
迎えた日本シリーズでは、長嶋と共に立教大学からプロに入団し新人王を獲得した杉浦を擁する南海ホークスを抑えて3年連続リーグ優勝を果たした野武士軍団、西鉄ライオンズと対決、中西、豊田などの強力打線は通称、流線形打線と呼ばれたか、それともその呼称は大が4番を貼っていた時代のものか忘れましたが、そんな強力な打線と、エース稲尾という、強力な個の力の集合体と激突!スピルバーグ
長嶋は初戦の1回裏に稲尾から先制タイムリーを放ち、同じ試合では硬直状態を破るきっかけとなるホームランを河村投手から放ったり、2戦目でも先制の押し出し四球を選ぶなど、活躍し、ジャイアンツは3連勝。
稲尾は、長嶋だけに打たれている→長嶋を攻略しないと勝てない→長嶋を抑え込めば勝てる→長嶋のビデオを見て研究→長嶋は球を読んだりせず、ただ来た球を何も考えずに打っている、ということがわかった、ということで、リズムを崩すために等級の間を変えるなどの策を講じたところ、長嶋の調子が狂い、チームの打線も復調をみせ、ライオンズは連勝を重ね、ついに3勝3敗の五分に持ち込んだわけです。
もう勢いはとまらず最終第7戦、昭和33年のプロ野球の最後の試合も、稲尾は快投、ジャイアンツから大量6点のリードを奪うと6対0のまま最終回を迎えた。
ルーキー長嶋は4打席連続三振のデビューから始まった1年の最後の打席、金田に勝るとも劣らない大投手、稲尾和久、前日の第6戦で0−2とライオンズリードで迎えた9回裏二死三塁で抑えられた稲尾、その日もチームは完璧に抑えられて0−6となっていた相手投手の稲尾から意地のランニングホームランを放つ。
快足を飛ばして悠々ホームインのタイミングであるにもかかわらず、あえてスライディングをきめた長嶋。それを見て守っていた遊撃手の豊田泰光は笑いそうになったということだが、同時に、そのプレイにかっこよさをも感じ、将来の野球界を背負って立つことを確信したという。

カネヤンに叩きのめされて幕を開けた1年、大活躍した年、最後に稲尾に抑えられ、それでも維持で一発やり返した長嶋。

なお、その年を最後に、ジャイアンツ川上、ライオンズ大下の両選手は引退したのであります。