Mussel Docking World

発汗、発光の末、発酵!をモットーに、音楽的な活動をする二人組、Mussel Docking (マッスル・ドッキング)のブログです。

Alfred'z音楽紹介#3『ザ・コブラツイスターズ』

ちょうど一年程前に、ニッティー・グリッティー・ダート・バンドについて軽薄に語った者です。そのときに、次はコブラツイスターズについて語ろうと予告をしたはずなので、やや遅くなりましたが、やらせていただきます。

コブラツイスターズの名前を知る人は、もしかしたらあまり多くはないかもしれません。僕自身、彼らのアルバムを全部聞くようなファンではなく、CDをいくつかレンタルしてきて、いいなあと思っている程度でした。解散したことも、ずっと後になってようやく知ったくらいです。そんな僕ですが、世間にこのバンドがこれほどまでに知られていないことに関してはやはり残念な気持ちになってしまいます。

まさにバンドサウンドといったストレートな音。真っ直ぐに生きている男の気持ちを連ねた歌詞。さほど複雑さも感じられないコード進行。こうした特徴が、雑誌などでは「直球のロック」とか「ひねりなしの真っ向勝負」のような言葉で評されるのが常だったと記憶しています。しかし、僕が彼らの曲に感じるのは、単にひねりがないだけの音楽が垂れ流す退屈さとはほど遠い、特別な美しさでした。

例えば「いつかの少年」(長渕剛に同名の曲あり)という曲のサビ。

「あの日膝を抱えた少年たちが いつの日にかその輪をくぐり抜けて」

という歌詞は、少年の成長という主題を明確に伝えながらも、何か謎めいたところを残しています。メロディーは、ノスタルジックな気持ちをかき立てる切ない抑揚を基調としながらも、高揚感のある伸びやかさも併せ持っていて、インパクトはあまり強くないにせよ、何度聞いても飽きない深さを感じさせます。美しさ、とか、深さ、なんてありきたりの言葉で申し訳ないのですが、言葉で魅力を簡単に伝えられるくらいなら音楽は面白くないと思うので、これでいいのだということにしてください。

一般受けする音楽と、評論家受けする音楽とは、相反するとまではいかないにせよ、かなりはっきり分かれる気がします。コブラツイスターズと似ていると僕が思うウルフルズは、評論家にはやはり単純なロックなどと言われ、大した賞賛も受けていない(ように僕には思えた)ながらも、一般的に良さが認められて売れました。コブラツイスターズは、評論家受けも一般受けも上手くいかなかったのかもなあと思います。評論家受けがどうのこうのというのは、たまにしか音楽雑誌を読まない僕なので、ほとんどが思い込みです。僕はロッキング・オンとかバウンスとかの音楽誌には劣等感まじりの反感を抱いているので(それが何ゆえにであるのかを明晰にお伝えするにはそれに先立って自分自身による感情の分析を必要とするがゆえにここでは反感の理由を詳しく述べることを控えたいと思います。いつかこれについて書くつもりも実はありません)、つい「アイツらわかってない」という口調に走りがちです。僕はコブラツイスターズの何を語りたかったんだっけなあと思いながら中途半端に話を終わらせることにいたしましょう。