Mussel Docking World

発汗、発光の末、発酵!をモットーに、音楽的な活動をする二人組、Mussel Docking (マッスル・ドッキング)のブログです。

史上最高の両A面、それはもちろん...

史上最高の両A面、それはもちろんビートルズの「Strawberry Fields Forever/Penny Lane」のことです。どちらもリバプールという町の中のローカルな地名をタイトルに冠した歌なのですが、歌詞の傾向は対照的です。ジョンの作ったStrawberry Fields Foreverが難解で抽象的な内容を歌っているのに対し、ポールは、ペニーレインという路地(というほど狭くなさそうですが)の日常的な風景を具体的に描き出します。


ジョンはこう歌い出します。"Let me take you down, cause I'm going to Strawberry Fields" . リバプールの孤児院の名前だというストロベリーフィールズに自分は行こうとしているので君を連れて行かせて、ということですが、take downというのは「連れて降りる」という言い回しらしいので、記憶の深層へと降りていく、というようなイメージが伴っているんでしょうか。しかし、その後を読むと、現在と過去の対比が問題になるのではなくて、現実と非現実の対立関係が歌詞の基調になっているような気もします。「君」に話しかける「僕」は、"nothing is real(何も現実ではない)"とか、"living is easy with eyes closed(目を閉じれば生きるのはやさしい)"とか、非現実の世界に生きているようにも見えます。が、意味のつながりを取るのは至難の業なので、正直なところ何を言っているのかわかりません。
ただ一つ特徴的だと思うのは、I mean、とか、you know、とか、日本語でいえば「えっと」とか「うんと」に相当するような言葉がやたら出てくるところです。

No one, I think, is in my tree
I mean, it must be high or low
That is, you can't, you know, tune in, but its alright
That is, I think its not too bad

That is(つまり)というのも入れて、この連だけで5つ、あまり意味がない挿入語があります。なにか、こういう語を積み重ねることで、歌詞の中の「僕」の立場の不安定さを表現しているようにも思えます。「僕」自身が、自分のいる場所が現実と非現実のどちらかをわかっていなくて、わからないまましゃべっているような感じです。ストロベリーフィールズという場所も、果たして本当にある場所なのかすらわかりませんね。(我々は知識としてストロベリーフィールズリバプールに実在することを知っているから、現実の場所について歌っていると思ってしまいますが、そういう知識なしに聞いたらどうでしょうか)

それに比べれば、ポールの書く歌詞の中の「僕」の立ち位置ははっきりしています。"Penny lane is in my ears and in my eyes"、ペニーレインは僕の耳と目の中にある。 "There beneath the blue suburban skies I sit, and meanwhile back"、郊外の青い空の下、僕は座り、少しの間戻っていく。訳は微妙ですが、「僕」がどんな立場にいるかは明確です。「僕」は今ここにしっかり存在していて、その僕の記憶の中にペニーレインはあるし、そこに少しの間だけでも気持ちを戻すことができる、というわけです。
具体的にくっきりと描き出された過去の情景に、現在にしっかりと生きる「僕」が対峙している、そんな感じですね。

こんな風に対照的な歌詞に合わせるかのように、曲調の方もサイケなストロベリーフィールズとポップなペニーレインという対比をなしていて、それでいてどちらも素晴らしい名曲という、あまりにも見事な両A面っぷりではありませんか。
来る12月8日はジョンの命日。その日に僕たちは夕陽ヶ丘さんのCD発売イベントに出演させていただきます。ポール来日の熱も覚めやらぬところですので、ビートルズをやらないわけにはいかない!というわけで、1曲ビートルズのカバーにも挑戦します。
どうか足をお運びくださいませ!