Mussel Docking World

発汗、発光の末、発酵!をモットーに、音楽的な活動をする二人組、Mussel Docking (マッスル・ドッキング)のブログです。

内山先生へ

内山先生

お久しぶりです。
福田十二指腸です。
先生はお元気でしょうか。

今日はダラダラと文を小声でボソボソ歯切れ悪く喋るように書きますので読まれる場合は覚悟をしてください。つまり、読了後、こいつは何を言いたいのかさっぱりわからない!読んだ時間を返せ!とお怒りになられても困りますよ、ということです。もしも読み切ったとしたら、読むことを選択した先生に責任があるのです!(大変失礼な物言い、すみません!)



街づくりって何だろう?
というようなことを、都市計画を離れてからは考えることも少なくなりました。
それでも、先日隅田川を遊覧船で下った時には震災復興のシンボルたる個性豊かな巨大な橋梁に胸をときめかせました。船上から橋を眺めながら「土木遺産」なる言葉が最近良く用いられていることを想起し、そういえば勝鬨橋はもう何十年も開いたことがないと新聞で読んだ記憶があるなぁ、あ、今度は右手に築地市場が見えてきた、今度移転するらしいよね、あるいはもう移転は決定したの
だろうか?などと移り変わる景色は都市の変貌を私に思わせることを強いたわけです。

街を形作る要素(都市インフラ、商業施設とそれらに引き寄せられて集まる人々)のことを考えることもしばしばあります。

実は今日先生に私のモノローグめいた土木素人の戯れ言(しかも内容はありふれたもの)を読んでいただこうと思ったのは、たまたま中目黒に住んでいる友人から、ここ最近、バブル崩壊後前世紀末からの若者のスローライフ志向、オーガニック野菜や北欧の素朴な家具等の要素から成るお洒落な空間、「カフェ」のブーム、その火付け役となったOという中目黒のカフェが、6月末日をもって閉店した旨を聞き、ありがちな発想ですが、街の顔、というよりは私自身にとっての思い出の場所がまた1つ消滅した寂しさに突き動かされてのことなのです。

中目黒で大規模な都市再生の動きがあるということはあまり知りませんでした。
以前中目黒勤務をしていた頃、駅を降りて当時八千代エンジニヤリングの本社ビル(そこに勤務していたわけではありません、そこに勤務していたのは二枚目男のサトル君です!)があった方向には、新しい高層ビルが建っていたのを認識していましたが、目黒川沿いは生い茂る桜の木とその両側の道路に沿って並ぶこじんまりとした雰囲気の良い洋服屋、食事処などから、緑と水とセンスの良い暖かな空間といった印象を私に与えており、実際に仕事を終えて、あるいは昼休みの時間などに界隈を散歩したこともります。

中目黒は渋谷、代官山、あるいは恵比寿といった、早くから発展した若者の街の丁度中間に位置した地味な街だったようですね。70年代半ばくらいから特に代官山はお洒落な洋服屋が多数できて、それを求める若者が流入してきましたが、地価の高さから、貧乏なデザイナーたちは隣接しさほど地価の高くはない中目黒に進出、あるいは流出してきたのです(「のです」と書いていますが、何かの書物からの引用で、しかも曖昧な記憶に拠ります!)。
ダラダラ長くなりますが、つまりそういった流れで街は形成され、中目黒は代官山とも恵比寿とも、もちろん渋谷とも違う、こじんまりとした店が多いこじんまりとした街で、目黒川の水と桜並木に象徴される、緑と水と柔らかな光の街として近年若者には住みたい街人気ナンバー1であり続けているようです。

さて、そんな街の象徴でもあった先述のカフェO閉店が、大規模再開発の煽りを受けたものかどうかは知りません。調べてもいません。
しかし界隈の幾つかの老舗でありかつ象徴めいた、一種のイコンのような店が閉店した/もうじきする、ということを聞き、別に私は保存、保存と声高に叫ぶことはしたくありませんが(例えば正田邸、例の美智子さまの生家の取り壊し時に、所縁の無い閑人(!)たちが取り壊し反対を騒ぎ立てたのとは立場を異にします・・・)しかし、一体街の開発は誰が決めて誰のためになるように行われているのか、と考えざるをえなくなりました。

あまりにダラダラと長く続いて論点もぼやけたままのこの文章の息の根をとめるべく、一気に結論を書きますが、都市に対して人が持つ愛着、その対象となっている諸要素は、完全に引っこ抜いてしまってはならないのではないかと思います。

経済性、安全性、効率性。大事です。大事でしたね。それで90年代半ばまでやってきて、頓挫した、というか、一定の成果を得、一方ではそれがパーフェクトな価値基準ではないことを判ったはずですが、それとは逆の価値観を持つ人に愛されている街が今再びあの価値観に浸食されようとしているような気がしてなりません。

都市にある様々な装置。
お金を生み出す装置、人が来る装置。東京では特に近隣地区との差別化をはかり、隣の都市に勝つというよりも別の色を提示して共存し、渋谷に遊びに来た人が、少し足を延ばして恵比寿や中目黒に違うモノを求めてやってくる、そんな流れができていたのですが、まぁ中目黒が渋谷になりたいわけはないので、実際は悲観をしているわけではありません。

唐突ですが、当文章はこれにて終わります。
人も街も大学も愛されてなんぼ、愛着を持たれてなんぼ、そんなことでした、書きたかった、言いたかったことは。
拙文、読んでいただきありがとうございました。

それでは、失礼します。夏バテに注意してください。