Mussel Docking World

発汗、発光の末、発酵!をモットーに、音楽的な活動をする二人組、Mussel Docking (マッスル・ドッキング)のブログです。

10年前と今のヒットチャートの話

今年のレコード大賞、見てないけど、新聞の広告欄に出てた名前はほとんど僕にはわからなかった。
そんなことが自分に起こるとは、10年前、流行りの歌にビンビン反応していた頃には思いもしなかった。
ヒットチャートの音楽は勝手に自分の方にやってくる感じだったのに。
今では何が流行っているかを全然気にせずに生活し、その限りではほとんどチャートの様子を知る機会はない。
昔はラジオをよく聞いてたし、テレビも今より見てたので、その辺の生活の変化が今のヒット曲との疎遠を生んだ原因の一つかもしれない。
しかし、流行りの音楽への興味が決定的に薄れたのがより大きな原因だろう。
10年前はお気に入りのミュージシャンがけっこうチャートを賑わしており、自分が好きな音楽が売れるのは当たり前だったけど、今では自分が好きな音楽が売れることがほぼ皆無になった。
サザンを例外として。(売れているものを気に入ることはたまにある。オレンジレンジリップスライムなど)
さっきから10年前を参照しているのは、そうした現象が起きだしたのがその頃だった気がするから。
(主観的な印象の話を「現象」と呼ぶのはやや気が引けるが、こういう話が主観の中でしかできないのは当然なので、以下もその辺の言葉使いは無頓着なままで進めます)
好きな音楽が売れなくなりだして、そのうち好きな音楽自体が減ってきた。そして、進行形で生み出される音楽に興味が減った。
もしかしたら、その頃から日本のポップスは下向きになっているのかも、と思うこともある。
だけど、音楽に興味を失ったために、よい音楽に出会うチャンスを逃しているのかもしれない。売れてない音楽はなかなかあっちからやってはこないから、自分から掘り当てる意気込みがいるだろう。
しかし、よい音楽が売れないというテーゼを受け入れると、今度はそういう音楽マーケットへの不満が高まる。よい音楽を聴く耳を持たない買い手ばかりになってしまったのか、今は。
しかし、自分がよいと思っているものが客観的に言ってそれほどよくないという可能性もあるのだ。
客観的ってなんだかわからないけど、とにかく自分がよいと思うものは他の多くの人にとってよくないということだ。
この考え方が一番つらいといえよう。しかし、こうした考えには、自分が好きだけど全然売れないというようなものがないとなかなかたどり着かないかもしれない。
現在進行形の音楽に興味が薄れたと書いたが、実は1人だけ例外がいて、それが堂島孝平である。僕は彼の音楽がとても好きなのだが、彼は全然売れてないっぽい。
福田十二指腸氏も彼のことを格別評価してはいないようである。
堂島孝平さえいなければ、僕はたぶん、「今は売れるようなよい音楽がないからつまらない」と言っていれば済んでいるのだ。
しかし彼がいるから僕は、「おれの感性はマイナーなのか」という思いに捕らわれてしまう。マイナーを好む精神、というかマイナーを好むことを誇りにする精神というのを僕はあまり信用できない。
マイナーを好むとは、惨めな劣等感を多少なりとも伴うことだと思っている。
例えば周りがクラシック音楽の談義で盛り上がっているときにそこに入れないのは相当つらい。自分の好きな音楽を彼らは屁のようにしか思ってないかもしれないと考えるのはつらい。
この感じは、例えば周りは邦楽ばかり聞いてるけどおれはクラスで洋楽聴いてるかっこいい少数派だ、というような浅はかな考え(高校時代の僕ですが)とは全く違う。こういう考えは、洋楽こそ本来的なものだ、という信頼に寄りかかって成立しているから、マイナーであることが自信につながる。
そういう拠り所がないマイナーなものを好きになってしまうと、逆に自信を失うことになりかねない。
まあ堂島孝平がそこまでマイナーなわけではないんだけど。
10年前と今のヒットチャートの話をもっとしようと思ったら脱線しましたとさ。

(「今年の」というのは2006年、つまり昨年の意味であり、Alfredが当稿を著したのが昨年末であることをいみじくも意味している)